もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

スポーツ少年団の罪①

小学校にはいると、土日が暇。家でゲームばかりされると困る。

そう思い、安易に長男を地元のスポーツ少年団、サッカー部に入れた。

小学校1年生になったころ、ちょうど6年前。

当時のわたしはスポーツ少年団について何の知識もなかった。土日に午前なら8:30~12:00、午後なら13:00~17:00もの長い間、預ってサッカーを教えてくれるというのだ。しかも通っている小学校で、しかも月1500円という料金で。

お安いし、送り迎えも楽そう。

なんと安易な考えであったろうか。無知とは罪である。

 

そして、次男も小学校6年生になった。長男は6年生になった。次男も少年団にいれよう。次男が小学校に入るとき、まだ彼が発達障害であるとの認識はなかった。

で、同じ轍を踏んだ。

 

次男は、自由人だ。でも同じ学校に通う同級生と練習しているうちに、みんなと同じように練習するようになるだろう。なんと甘い認識。

次男は1月経とうとも2、3月経とうともみんなと同じように行動することなどできなかった。

まず、ボールをうまく扱えない。1年生だから当たり前だ。でも受け入れられない。悪態をついて暴れる。他の子のボールを蹴飛ばす。コーチに言われたように列に並べない。列に並んで順番がくるのが待てない。コーチが練習のやり方を説明するが理解できない。聞いていない。グランドの遊具で遊びだす。

 

もちろんその頃、わたしは「普通であること」を目指していたから、一生懸命、次男に「普通であること」を強要していた。できないことをがんばって努力し、できるようになることこそ、目指すべき姿だと思っていた。

サッカーがうまくできないから、練習にみんなみたいに参加できないんだ。お家で練習していって、うまくなれば積極的に練習に参加できるだろうと考え、平日学校から帰ってきたら、お家の前で練習をさせた。

なるほどそうすることによって少しはうまくなり、少しは練習に参加できるようになった。でもどんどん新しい練習は出てくる。新しい練習はできないから、みんなの輪から離れる。

 

そうこうするうちに、発達障害かも??ということで、本を読み出し、小林みやび先生の著作に行き当たった。

「スポーツをやるなら地元のチームにはいるのが正解?」というテーマ。

先生は、お父さんコーチの危険性について書かれていた。スポーツ少年団のコーチは、誰かのおとうさんであることが多い。発達障害だといくら伝えても理解していただけることが不可能に近いし、守秘義務の観点からも不安が残るということで、みやび先生は、地元のスポーツチームに入ることは断念されたということ。

 

そう!!まさにそのとおり!!!

読むのが遅かった。気づくのが遅かった。無知は罪である。

 

②につづく