もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

もう普通を目指さない

診断によって変わったこと。

 

いい意味であきらめがついた。

 

今までは、もっとこうだったらいいのに、こうしてくれたらいいのにという気持ちが強すぎて、こちらの希望通りにやれない次男にいらいらして怒っていた。

 

それがもっと次男を理解してあげたいという気持ちが強くなった。

そして、もうありのままの彼でいいじゃないかとおもうようになった。

努力不足じゃない。やろうとおもってもできないこともある。

「普通はこうだ」「普通の子はこうするのに」という呪縛から解き放たれた。

「もう普通を目指さない!!」と私の中で高らかに宣言した。

思えばただわたしの理想であり、わたしの希望であり、そういう型に彼をはめ込もうとしていた。わがままだった。

 

長男がうまれてからずっと「普通」というものにあこがれ続けていた。

長男は、幼児のころお友達とうまく遊べない子どもだった。

児童館のサークルで知り合ってグループになったママ友と子どもたちが一緒に誰かのおうちで遊ぶという機会がよくあった。

長男はなかなかみんなの輪に入れなかった。というか入ろうとしなかった。彼の周りにはいつもマイワールドが漂っていた。

「みんなと一緒にあそびな」と何度言っただろう。子供同士で遊んでくれると、安心してママ友とおしゃべりできるというわたしの身勝手な思いもあった。

なんでみんなとおんなじようにできないんだろう。そう思い続けた。

でも保育園にはいるとそれなりにお友達もでき、お友達と遊べるようになったし、集団行動もできるようになった。ただ、登園中にどれだけお友達に挨拶されてもずっと挨拶しないとかそういうところはあった。

また、年少のころ、とある作品を作り、作品に絵を描きましょうといわれたんだろうなぁとおぼしき作品が展示された。他の子たちの作品はほほえましいキャラクターや車や虫や動物の絵が描かれていた。

彼の作品は、びっしりと漢字が描かれていた。彼は年少にして漢字が多くかけたし、読めた。車で出かけては、交差点に表示されている地名を読むということを習慣にしていた。

他のおかあさんたちには、

「漢字かけるの??すごーーーい」と賞賛のまなざしをうけたが、どうして普通の子のようにしてくれないのと怒りにも似た気持ちを感じた。

こんなふうに長男は成長したが、なんとなく回りに溶け込み、集団行動もそれなりにこなし、小学校では問題視されることもなく通過してきた。

だけど、やっぱり、ん??え??はぁ??というところが頻繁に見られるので、たぶん彼も発達障害の傾向はあるとにらんでいる。ただ集団生活において、障害になっているところがないので、今のところはスルー。

 

ということで、長男も次男も私も父親についても

「もう普通を目指さない!!」ということにした。そう決めると、ほんとに気持ちがすごーく軽くなった。今までわたしはなんてくだらないことに執着していたんだろう。