学校でちゃんとやってるの??
学校から、「今日こんなことがありまして・・・」と連絡してこないからといって、学校で次男がスムーズに過ごしているとは限らない。
「発達障害の子どもと上手に生き抜く74のヒント」の著者の小林みやび先生もこの本の中で言っている。
「『特に先生から何か言われているわけでもないから、うちの子は学校ではそれなりにやっているんだろう』と考えるのは、早計です」と。
先生からは何も言ってこない。
本人もこちらから特別尋ねなければ、何も言わない。
「なにか変わったことあった??」ときいたところで、「ん??変わったことって??なにもないよー」と言われるのがオチ。
本人はそもそもこちらが思っている「変わったこと」がどんなことか分からない。
「怒られたりしなかった?」「何か失敗したことある?」「うまくいかなくて困ったことある?」と多少具体的に聞いてみたところで同じ。
怒られることは日常茶飯事だし、失敗は特に失敗と思っていない。うまくいかないことだらけだが、それで本人が困ったと感じることは少ない。
だから、みやび先生は、授業参観とか特別なときではなく、普段の日に偵察のために学校に行くのが良いといっている。
だが、日常外で仕事をしているわたしにそんな暇はない。
そんなわたしに次男の情報を与えてくれるのは、長男であり、親切に??ご注進してくれる保育園から一緒の女の子のお友達だ。
長男にとっては、災難以外の何者でもないが。
長男のもとに、次男の情報は、主に長男の友人たちによってもたらされる。
「今日、お前の弟、そうじさぼって怒られてたぞー」とかそういう類のものだ。小学生男子にありがちなやつ。
それを長男は母に苛立ちとともに伝えてくる。
それから、保育園から一緒の女子。
「○○くん、きのう先生に叱られてたよー」
「そうなの??どうして??」
「しらなぁい」
知らないなら言うなよとすこしイラッとはするが貴重な情報源。大切にしないと。
そういう情報を得て、やっと
「どうしてそうじしなくて怒られたの?」
「だってまだ給食たべてたんだもん」
「どうして給食たべるのにそんなに時間かかっちゃったの??」
「きらいな食べ物がでたんだもん」
とかの会話に発展できる。
「そうじするところがどこかわからなかったんだよー」
とか
「そうじのしかたがよくわからなかったんだもん」ということもあった。そこまでわかれば、何とか解決策も検討できるというもの。とにかく情報を得なければなんともならない。