こどもはこども
まわりの過保護の親のことを内心、見下していた。
冬。着ぶくれた子どもを見ては、
「着せすぎやし」
持ち物を忘れないように、毎日チェックしているという親には、
「忘れ物の責任なんて自分でとらせないと」
「忘れ物したら反省して、今度からちゃんともっていくって」
などなど。
子どもは子ども、わたしではない。自分の人生なんだから自分で責任をもちなさい。
子どもは、ほうっておいても育つ。
会社で子どもの話ばっかりするなんでもってのほか。
おかあさんっぽいなぁっておもわれるなんていや。
子どものことかわいがりすぎてモンスターになるなんて最悪。
平たく言うと、
「かっこいいおかあさん」「子どものことにとらわれすぎないいい女気取り」
だった。
手を出すのは最小限。子どもの自主性にまかせる。
聞こえはものすごくかっこいい。
確かに、長男は、それなりに育った。学校でも問題行動を起こすことなく、6年生を終了しようとしている。
次男も同じように扱おうとしたが、うまくいかなかった。
集団生活に入れておいたら、適度に順応するとおもっていた。しない。
失敗したとおもったら、次は気をつけて失敗しないようにする。しない。何度も同じことを繰り返す。
一度できたことは、二回目もできる。できない。一度できたからと言って、次もできるとはかぎらない。
これまでのわたしのやり方では次男に対しては、まったく通用しないことがわかった。
忘れ物がないかちゃんとみてやり、学校でやることについては、あらかじめ家で練習する。
こういう想定外のことがあるかもしれないけど、こういう風にすれば大丈夫だからね。と言い聞かせてからいく。
そういう事前準備が功を奏したり、そうきたかぁ!!と失敗したり試行錯誤の毎日。
だけど、基本的な考えは変わっていない。
子どもの人生は子どものもの。
でも、舵取りは子どもにまかせるけど、地図を用意してあげたり雲行きを見てあげたりのお手伝いはしてあげないとね。
長男の授業参観の後の学級懇談などほとんど行ったことがなかった。
学級懇談なんて過保護の親が行くものだとおもっていたから。でもそういうことじゃないとわかったわたしは、ちゃんと最近は出席している。
先日行ったときは、卒業制作の製作途中の作品が展示されていた。
オルゴールを中に入れるというもの。外側は各自絵を描いたりする。
長男は、「毘」というのと「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」というのが書いてあった。
やっぱり絵は描かないのですね。相変わらず。(笑)