もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

新年度初日、次男

きのう、新学期のスタートをきった次男。

今年度、わたしは子ども会の役員。
次男の小学校は子ども会単位で集団登校をする。新年度の最初だけ子ども会役員が集団登校に同行する。
それで、次男や子ども会の子供たちといっしょにきのう、登校した。

新年度、新しいクラスが発表となる。
それにともない、校舎も教室もクラスもクラスのメンバーもまったくの仕切り直し。

これって、発達凸凹の次男にとってものすごく大変なことなんだなぁ。
これをきのう実感した。

そもそも新学期って荷物が多い。彼にはランドセル以外に手に持つ荷物はひとつだけにしている。いっぱい持つとパニックになる。でも一日目には、机に入れる引き出しを持っていかなきゃいけない。すっごくおおきい。バックも必然的にすごく大きくなって持ちにくい。
そもそもこれ、子供ひとりずつの所有にする必要ありますか?学校で所有して貸出ししてくれればいいだけのこと。こんなんうちの市だけじゃないの?知らんけど。わたしが生まれそだったとこにはこんなんなかったもん。


そして学校につくと、大きく貼り出されたクラス表から自分の名前を探し出さなきゃならない。
6学年あるうちの自分の学年を探し出すことからもはや大変。
自分の学年が貼り出されているところを見つけ出し、さらに4クラスの中から自分の名前が載っているクラスを探し出す。

そこで落胆と喜びがないまぜになる。

一緒のクラスになりたかった子の名前が同じクラスに見つからず、相当落胆する。
他に知っている子がいて、少しは喜びがある。でもその落胆の方が大きくて、感情がいっぱいいっぱいになって混乱する。

でもその感情を制御して、新しい教室に向かわねばならない。
でもなかなかそれができない。

もう帰ってしまいたい。校門まで戻る。でも帰ってはいけないのはわかっている。
パニック。
パニックをおさまらせようとそのあたりをぐるぐるまわる。

その効果もあり、少し落ち着いて、靴脱ぎ場へ向かうが、あまりに子供が多すぎたからか、もどってくる。
また貼り出されているクラス表を眺める。
そして再び靴脱ぎ場へ。

今年度の校舎、今年度の自分の靴入れ場所を探し、靴を入れ、持ってきた上靴を荷物の中から出して履き、そして、今年度の教室へと上がる。
この行程の途中までしか見てなかったけど、この処理していく作業の多さ。
凸凹さんには、ひとつずつこなしていくのがほんとに大変。
しかも去年は休校のせいで、この作業なかったし。2年生のとき以来。2年生のときは見てなかったけど、あたふたしながら、パニックになりながらきっとがんばったんだろうな。

今回、途中自分なりに、パニックからもどる方法をいろいろやってたのを見て、成長してるんだなぁと思った。
今までの経験からきっと少しずつ。
えらいねぇ、すごいねぇ。

見ている途中で、わたしの方があわてちゃって、

「何組か確認できた?」とか

「だいじょうぶ?」とか

声をかけちゃったら、

「うるさいねん」

「邪魔」

と却って叱られちゃった。
そっからは、だいぶ離れてそっと見守るだけにした。
そっか、ちゃんとひとりでできるんだね。

彼の社会で、彼は彼なりに成長しながら生きてるんだなぁと思いました。

でもこのクラス分けの嫌だ!!っていう感情が1日ずっと処理できなかったらしく、その後行った放デイでも帰ってきた自宅でもずっとイライラ。
スイミングに行って帰ってきた頃にやっとスッキリしたもよう。

やっぱ運動って、大人も子供も普通の人も凸凹さんも気持ちの処理をするのにいいのかなぁ、なんて思いました。