自由が不安な長男
「ここは今から倫理です」
いま、NHKでドラマをやっている。山田裕貴くん主演。
わたしは高校生の時から倫理の授業がすきだ。教育実習でも倫理を教えた。
だから、このドラマにはまっている。マンガも買って読んだ。
先週の放送。
「不安は自由のめまいだ」とキルケゴールが言っているらしい。何にも拘束されず自由だとどこまでも飛べそうで不安になる、ということみたいだ。
こういうことなのかもしれない、と思った。
長男は不安なのだ。
長男は自由だ。普通の中学生のように、部活や塾にしばられない。学校に行っている間は、「学校」にしばられてはいるが、帰ってくると完全なる「自由」。
学校のあとは部活がある、というのでもなく。
帰ったら急いでご飯を食べて支度して塾にいかなけばならない、というのでもなく。
勉強すら、
やってもいいけど、やらなくてもいいよ。
っていう状況。
ドラマの高校生は、深夜までお母さんが帰ってこないので、時間をもてあまし、夜遊びを繰り返す。
長男の場合は、次男やわたしと遊ぼうとする。
でも、次男やわたしは長男と遊びたくない。
わたしは、家事など他にすることが山ほどある。
部活や塾など、他によりどころのない彼の拠り所が家族でありわたしであり、次男なのだが、それをぜんぶ受け止めきることは、むずかしい。
不安の解消に家族を使っているわけだけど、家族はオールマイティーではない。
「あーあ、嫌だけど、塾にいかなきゃなー」
という拘束のある生活は、不安から解放され、幸せなのかもしれない。
そしてその生活は彼みずから手放したものなのだ。