もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

子供のこだわりは許せても…

数日前から夫がだんまりを続けている。

気に入らないことがあると、しばらく何も会話しなくなるのは以前から。

そうなるのは激しい口論になるのを自制しているのだ、と言っていた。以前。

今回の原因は、わたしが栞を捨ててしまったこと。

といっても本屋さんでもらえる紙のやつ、らしい。

らしいというのは、わたしに記憶がないからだ。

まあ、記憶がない、ということ自体も夫からすれば腹立たしいのだろうけど。

本を新刊で買えば、かならず本の中に栞がはいっている。それをはさめばいい。新潮社ならそもそもひもがついている。
でも今回、古本を彼は読んでいた。だから栞がはいっていない。そういえば、以前キャンペーンのときかなにかで本屋さんで栞をたくさんもらったはず。ここにおいておいたはず。それが今ない。それをお前が捨てただろうというわけ。

捨てたか捨ててないかわからない。彼が大切にしていたものなら、本当に申し訳なかった。でもおそらく本棚のはしっこのほうに雑然と置いてあったものだと思う。記憶はないけど。

わたしは、引き出しなどにきちんとしまわれていないもの、使われてなさそうなものを捨てることにしている。だから今回の栞もそのカテゴリーに入る。

彼に了解をとらなければならなかったのかもしれない。

だから、わたしの栞を渡して、

「じゃあこれ使って」

と言った。

「こんな布のやついらんねん!!」

そうですか。

「ほんなら何か、そこらへんにある紙はさんどいたら?」

と、その辺にあった紙を渡した。

「そういうことじゃないねん!!」

捨てたことを怒っているのか、はさむものの形状に怒っているのか、そのどちらにもなのか。

どれか新刊の本から栞取り出してつかいなよー、と思ったけど、もうそんなことも言えぬくらいぷんぷん状態になってしまった。

ものはもともとある目的によって作られている。栞は本にはさむため、レシートは、どれだけものを買ったのかわかるためのもの。ものには目的や用途がある。
彼はもともとその目的とはちがったものに転用することを以前からあまり良しとはしないことはわかっていた。
今うまく例示を見つけられないけど。

要は本にはさむための栞として生まれた栞を栞として使いたかったのだ。そこらへんのレシートとかの紙をつかうのが嫌なのだ。

ふぅ。こういうことは意外といろんなところに転がってる。

子供のこだわりって何となく許せるけど、大人っていうか夫のこだわりってあんまり許せない、わたし。
こころがせまい、というか、思いやりが足りないんだな、きっと。