もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

学校なんて…子供を通じて再びかかわり合う

わたしは、小中学校によい思い出がない。楽しい小中学校生活を送ったなんて決して言えない。

集団無視にあい、円形脱毛症になった小学校時代。

力のある女子は、ターゲットを少しずつ変えながらいじめを楽しむ。ありがちなやつだ。嵐が過ぎ去るのをただ待っていればよい。嵐を上手に乗り越えると、またみんなと仲良くできる。別の子をいじめながら。

でもわたしは、まともに受けとめた。ストレートに傷ついた。上手に嵐を乗りこえられなかった。そんな子たちとまた仲良くなるなんてできなかった。それからはずっとひとりだった。

先生は気づいていながら何もしてくれなかった。
そもそもわたしも先生に何かしてもらおうとは思ってなかったように思う。

女子は残酷だ。
わたしの頭を見て、無視してきた子がこう言う。
「その髪どうしたん?」
わたしには、その頃うまれたばかりの妹がいた。(年が11歳離れている)
「妹に髪の毛引っ張られて抜けてん。赤ちゃんの力ってめっちゃ強いねんで」

と今なら笑っちゃうような理由を言った。恥ずかしすぎて、何とか取り繕った。

その後、その女子が他の女子と
「そんなわけないやん」
と笑いあっているのも聞いた。聞こえるように言っている。

人に期待するのをやめた。本だけが友達だった。

卒アル用の写真を撮った。担任の先生が、
「修正してわからないようにしてあげるからね」
と言った。ハゲの部分を黒くしてあげると言っているのだ。わたしはそれをうれしいと思った。ばかにするなとは思わなかったのだ。誇りなんてとっくに失われていた。

今にして思えば、先生の精一杯のやさしさだったのだろう。

小学校のときのことは、ほとんど覚えていないが、そういう場面場面はスポット的に記憶しているようだ。

子供ができたとき、女の子がいいなぁと思ったが、女の子でなくてよかった。子供が成長していく度に、また学校というものとつきあっていかなきゃいけないのだ。子供を通じて追体験する。子供が女の子だったら、また女子のめんどくささとつきあわなくてはいけなかったのだ。ほんと男でよかった。

中学校は、校内に不良の生徒があふれかえるような学校だった。シンナーの袋とガラスの破片でプールが使えなかった。先生は不良の生徒に、ペコペコしていた。先生は不良の生徒に殴られていた。

学校や先生に対する信頼感などまるでなかった。

そんな小中学校生活を過ごしてきたわたしは、もちろん子供の学校に対しても、一定の距離をはかり、つかずはなれずの姿勢でいようと思っていた。協力もしないかわりに文句も言わないドライな関係。そもそもまぁ、それが普通だと思う。

それが、発達障害の子供がいると、そんなことは言っていられなくなった。
電話をすると、担任が出なくて、教頭先生であっても、
「ああ、◯◯さんですね」
と分かられてしまう。

そんなん求めてなかったのにーーー!!
学校とがっぷり四つになってる。
先生たちにはすごくよくしていただいてる。

でもあんまりかかわり合いたくなかったんだけどなー。となんとなくモヤモヤする。