もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

宿題は百害あって一利なし

宿題は百害あって一利なし。

これは、本田秀夫さんがおっしゃられていることだ。
発達障害の子供について。発達障害の子供に限らずだったかな。

本田先生の最新の「子どもの発達障害: 子育てで大切なこと、やってはいけないこと」という本に記載があった。

それぞれの子供には、適切な量があって、それを考慮しないで、子供全員におなじ量の宿題を課すということは、子供の学習意欲という見地からまったく利のないことという趣旨である、
わたしの理解が正しければ。

これは、まったくその通りで、うちの子たちは、教えられたことはちゃんと理解している。宿題で出される範囲の問題については、ちゃんと解答できる。

だけど、ものすごく時間がかかるのだ。こんなことしてたら、勉強が好きになるどころではない。

時間がかかるなら、たくさんやれば早くできるようになるやろ、これは正論だ。

好きではないことに対して、集中力を保つことができない。
だから、ひとつやっては、休憩し、って感じで。
割り算の筆算を20問もやるなんて、彼らにとっては、途方もない労力がいる。
それに、次男は、紙に空白があると、絵を描かずにはいられないのか、宿題のノートの空きスペースに必ず絵を描く。

それが、わたしの思いつくものすごく時間がかかることの理由。

そんなもん、我慢してやらせなさいよっていう声も聞こえてきそうだけど、それがやれないから障がい者なのだ。

だから、本田先生の言うことはものすごく良くわかる。

本田先生の解答としては、学校に宿題の量の調整をしてもらいましょう、なんだけど。

それも言うは易く行うは難しで。

というのも、学校は、わたしが量を減らしてほしいとお願いすると、たぶん減らしてくれるだろうと思う。次男の場合、学校の理解も進んでいるので。
(長男の場合は、受験生なので問題外。やらないならどうぞ。内申点はつけられませんけど、となる。)
だけど、こだわり強しくんの次男。

学校は、きちんと毎日行くもの。宿題は毎日、死にそうになってもやるもの。紙の白いスペースは絵で埋めてよいもの。

だから、やらなくていいよ、なんて言葉には効き目がない。

それが、ぼくはぼくが無理なくできる量をやればいいんだ、と思えるようになるのも、障がい受容、障がい理解なんだろうけどなー。

ちなみに長男の小学校の時は、全然発達障害だということに気づいてなくて、宿題をやってるかどうかもノーマークだったら、(当然やってるもんだと思ってた笑)全然やってなかった。
夏休み前に確認したら、1学期の宿題、ほぼやってなかった。それはそれで、ちゃんと学校も教えてほしいよねぇ。(これは、ちょうど今の次男と同じ4年生の時のこと。1年から3年は、学童に行っていたので、ちゃんと毎日宿題してた)