小学3年生は、障害理解できるか?
きのう、次男の担任の先生からお電話をいただいた。
本題にはいるまでに、きょうの次男のよかったこととかがんばっていたことをまず誉めてくれる。
最初はよかったことから、みたいな感じで、なんかマニュアルっぽいけど、それはそれでやっぱりうれしい。
さて本題。
「きょう、発達障害について書かれたおたよりをお配りしました。子供と保護者の方で読んでくださいねというものなのですが」
そしたら、次男が、
「あ、これぼくのことだ」
と言ったそうな。
「お子さんにはしらせていないということでしたよね?まわりのお子さんにもお知らせしたくないということでしたよね?」
先生のおっしゃるとおり、次男にもお友達にもお友達の親さん達にもお知らせしないでと要望している。次男には、お医者さまとも相談して、きちんと理解できるくらい大きくなってからと思っていたからだ。
お友達やお友達の親さんにお知らせするのは、とにかく面倒くさくなるのが嫌だったからだ。正しく理解してもらうなど期待していないし、排斥運動につながりかねないと危惧していたからだ。
でも最近になって、長男も発達障害だったことが判明し、中学校でトラブルが増えるにつれ、家族で障害についてオープンに話したりすることが増えた。
だから、次男は彼なりに話を総合して、自分もそうなんだろうと結論づけたのだろう。
次男は、ASDではあるけれども、空気を読んだり、意外と人の話をよく聞いてたりする。それがいつも同じようにできるとは限らないが。
それに、ASDと診断されていても、みんなに同じ症状が表れるとは限らない。それが発達障害の理解を難しくしているところでもある。
「ひとりごとのようで、まわりの子はなんにもきいてなかったようでしたけどね」
発達障害という言葉それ自体は知らないかもしれないが、まわりの子供達は、彼が「すこし違う」と肌で感じているのは間違いのないこと。
子供達、とくに女の子は敏感だ。そして、自然に手伝ってくれる。
次男は、マスクも鉛筆も消ゴムもなんでもすぐに落としてなくす。まわりの子が気づいて、拾ってくれたりして助けてもらっている。
「違う」から、「いじめる」「避ける」「からかう」ではなく、「違う」から、「助ける」「気遣う」を自然にやってくれている。発達障害についてまったく知らなくても。
とても素晴らしいことだと思う。自然な感情の発露。
そんなみんなにあえてこれは障害なんだよとお知らせしたらどうなるんだろう?
もちろんおたよりは名指しではないが。
全校で70人くらいいますと書いてある。
そしてもう次男にもちゃんとお話ししてあげる時期が来ているんだろうか。