あいまい性の排除
社会生活をしてたら、なんか簡単に原則をまげてしまう人っているよなと思う。
「まぁ、原則は、そうだけど、いいんじゃない、これで」
「一応そう決まってるけど、むずかしいから、いいんじゃない?」
「だいたいそうなってるけど、あの人の場合は無理だよ」
などなど、時と場合によって、人によって、もともと決まっているルールやら規則やらマニュアルなどがさまざまに変更されて運用されている、現状。
そういうのが、わたしにはいちいちむずかしい。
言ってることはわかるんだけど、それでいいの?といちいちひっかかる。いちいち確認したり、注意したりして、面倒くさい人と思われる。
要はダブルスタンダードが苦手だ。
おなじように子供たちもそういう状況がむずかしい。発達障害の子どもの特徴のひとつだ。
A 先生はこう言ってたのに、B先生はこう言うとかだ。
A 先生が言ってたやり方で、やったのに、B先生には叱られる。混乱する。学校生活で相当にありそうなケース。そしてうまくそれを伝えられない。怒りで表現する。理解してもらえない。という流れ。
また「ちゃんと」「はやく」「しっかり」などなど、あいまいな表現にも混乱する。
たとえば、「ちゃんとそうじをしなさい」と言われても「ちゃんと」が何かわからない。たとえば「ちゃんときまった時間」しろ、なのか「ちゃんときまった場所を」しろ、と言っているのか「はたまたしゃべらずにちゃんと」やれといわれているのかがわからない。もちろん先生は、その全てもしくは、どれかについて言っているつもりでも、子供は理解していない。やること、やる場所、やり方がわからずに結局掃除できなかったと言っていたことがあった。
だから家でもできるだけ、具体的な表現を心がけている。
「ちゃんとごはんたべなさい!」と言いたいところだが、「すわってたべなさい」なり「このおかずをたべなさい」だの「しゃべらないでたべなさい」という風に。
でもついつい、
「ちゃんと宿題した?」「はやく明日の用意しない」とかって言っちゃうんだけどね。