遠慮しない親になる
個別指導計画を見ていて思ったことがある。
今までに書いたもの。
要望等を書く欄からにじみ出ている。
教室においていてもらって、ありがたい、と。
普通クラスになんとかいさせてもらっている、と。
なんてひかえめな。なんて遠慮がちな。というかはっきり言って卑屈。
障がい者や障がい者の家族は、知らず知らずのうちにこんな気持ちになってしまうようになっている!!
ような気がする。
わたしだけだったらごめんなさい。
学校に対する要望も、
「お手数かけて申し訳ありませんけど」
「こんな子で、ごめんなさい」
「クラスの子に迷惑かけちゃって」
「先生にも理解していただけるとありがたいんですけど」
「普通でなくてすみません」
「対応むずかしいですよね」
みたいな感じが言外に出ちゃってる。
わたしの心の根底にあるのだろう。
そしてたぶん先生方の心の根底にも。
わたしのその遠慮がちな要望を「当然のもの」として受け入れている時点で、たぶんそう。
なんで?
べつに遠慮する必要なし!!
法律でも保証されているぜよ!!
まわりの意識改革をする前に、まず自分の意識改革をせねば。
何しろ一番子どもにとって良くない。
「学校がやってくれそうな」配慮、「これ以上は無理だよね」など、勝手に「忖度」してお願いしていた。
でもこれからは、本当にやってもらいたい、できるかわからないけど、とりあえず言ってみよう、というような配慮をお願いしていこうと思う。
それがきっといちばんいいはずだ。