もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

交流会に参加して気づいたこと

きのうは、発達障害の子供を持つ親さんたちが交流する会に参加した。
発達障害者支援センターが主催するもの。
2度目の参加。

みなさん、すごいなぁ、えらいなぁ、と感じた。

だってちゃんと対策をしているもの。たとえば、子供が先生に言わなきゃいけないことを言うのを忘れないようにメモ帳を持たせてメモさせたり。親が代わりに言ってあげるのでなく、自分でやれるように、親は手助けでとどめておくこと。将来に向けてきちんと準備されているのだなぁと感じた。

それに対して、わたしはほぼ無策。丸腰。「待つ」ということ以外にほとんど何もない。それさえできずにイライラすることも多い。
あとは、まわりの方に支援とか配慮をお願いする、とか?

能動的ではない。

なぜ?

考えてみた。

子供ら自身が困っていないからだ。親やまわりの人間は彼らの行動に対して困っている。でも本人に困り感がほとんどない。
だって何とかなっちゃうから。まわりの人たちの配慮やときによっては我慢で。あと彼ら自身の我慢で。
それにすこしくらい困っても我慢しても、それすら忘れちゃうのだ。そしてまた同じことを繰り返す。繰り返すと思っているのは、私たちまわりの人だけで本人は忘れちゃってるから、新たな新鮮な困り、我慢なのだ。

結局、本人がすごく「困ってる」感がないと、私たち親に伝わらないし、対策も打てない。こんなことで困ってるんじゃないかなと類推するだけ。だから、本人は、「え?そんなことないけど?」だったりする。本人に「困ってる」感がないと、何とかして解決しようと本人が思わない。

逆になんか堂々としてて、すごいと思えばいい??

でも、これって大人になって、社会に出て、まわりの人がものすごーーーく困るっていうやつ、ですよね。