もう普通を目指さない!発達凸凹母が見た発達障害兄弟の生態

ADHD+ASDの息子2人との普通じゃない日常

ゆったりゆったりスイミングの次男 少しのできた!が感動的な出来事になる

最近、次男はスイミングをいき渋るようになった。

「行きたくない」

スイミングについてもギリギリまで粘る。最終的には観念して行く。

次男はスイミングで目下、平泳ぎを習っている。難しい。クロール、背泳ぎと進んできたが、それらの泳ぎとはまったく異なる泳ぎ方。うまくやれない。

あたらしいことにチャレンジするのが苦手だ。それと体を連携させて、イメージ通りに体を動かすことが苦手。だから体育やスポーツは、苦手のダブルパンチだ。

平泳ぎが難しいと聞いて、「え?そう?」「簡単やん、みんなできるやん」と思うかもしれない。でも足と腕がまったく異なる動きをして、さらにそれもうまくタイミングを合わせなければならない。彼のような発達凸凹さんにとっては非常にむずかしい。

だからできればやりたくないのだ。でもやれるようになりたいという気持ちも持っている。それはすごく尊いことでできるなら叶えてやりたい。

昨日は、家ですこし復習してから行った。進級テストの日だった。もちろん一発で受からないことはわかっている。でももらって帰ってきた紙には、ちゃんと25メートル泳いだことになっていた。

「がんばったやん!!さいごまで泳いだんだね!!」

手放しで誉めた。
無論、きれいには泳げていないので、テストは不合格。でも嫌だと言って逃げたり、途中で放り出したりしなかっただけでも本当に素晴らしい。

こんな風に普通の子供だったら、さらっと過ぎてしまって感動的ではないところで感動できたりする。

そもそも「泳いでいる」という時点ですばらしい。年中年長の間はスイミングに行っていてもほぼ、「お風呂に浸かっているみたい」な状況で過ごしてきた。
というのは、顔に水がかかる、水に顔をつけることが嫌いで、プールのすみっこでプールに浸かっている状態であることが多かったから。
少しずつ顔をつけられるようになり、潜られるようになり、浮けるようになり、というゆっくりな道のりだった。だから普通の同年齢の子供たちに比べるべくもないが泳いでいるというだけで、隔世の感がある。

これからもゆったりとでいいからがんばって進んでいってほしいなぁ。